★社会保険行政の根幹はなんであったのか?本人が記述した年金裁定請求はそのまま受理、資格期間が足りなければそのまま無年金裁定でよしとする「思想」が蔓延していたのではないかと思えることは多々あった。
極論するならば、本人がわからなければそのままでいい、本当に必要なら自分で記録照合を求めてくるものといった社会保険行政の現場の態度はいたるところにあった。そうでなければ、60歳以上の無年金者118万人のうち約14万人強が年金に結びつくにもかかわらず、長くほったらかすようなことはなかったはずだ。
無年金118万人という数字は基礎年金受給権者2600万人の4.5%、厚生年金受給権者1260万人の9.3%強。多いとみるか、この程度は当然と居直るかは人様々だが、年金制度を一商品としてみればリコールものである。
★当然、この人にはカラ期間があるはずだ、あと数年任意加入すれば年金受給に結びつくはずだ、と社会保険事務所の「機転」がきく善意の年金相談員によって救われた人もいた。しかし、無年金者118万人という存在は、ある「意図したシキタリ」が制度それ自体に伏在していたとしか思えない。その要因は、連綿として続いてきた社保庁職員の不作為だったとはいえない。
★「記録問題というものは」年金財政や制度と「きちんと分離して考えて」いい問題ではない。特に国民年金の基本は全国民共通の「拠出型年金」といわれている。自分で拠出した「証拠」がなければ、年金がないのはしょうがないでしょうという雰囲気が2007年までの社会保険の歴史だった。
現在、記録回復作業に膨大な時間と国家予算を消費している。単に政争の具にしたと民主党を非難しても建設的でない。なぜ、この国の制度はそういう綻びを見過ごすシステムを許してきたのか?
★未加入、未納が増えたところで、年金財政には痛くもかゆくもない。それより加入者が増えれば増えるほど年金財政は損をする。国庫負担分もさることながら、今の被保険者の国民年金への拠出金分、制度として損をするのだ。確かにそんなことを言っていた人が厚生省にはいた。今は制度守旧派は未納問題、加入者全体では5%、財政的には大した問題ではないという。こうした発想が無年金者を生み出してきた底流であった。
制度維持の発想が倒錯していたのだ。
★「年金受給に結びつける記録は掘り起こすな」「国民年金加入者を増やすな」といった行政通達や行政内幹があるわけではない。しかし、年金財政からは年金給付支出はなるべく抑えよという、社会保険行政のいわずもがなのシキタリがあったのではないかと疑いたくなる現実はあった。
無年金者の記録の突合は本人の自覚的申し出がない限りしない。行政から再裁定手続きはめったにしなくてもよいことになっていたのだ。社会保険行政に長く携わってきた公務員ならそんな雰囲気はよくご存じであるはずだ。1980年代、「知らしめず、聞かしめず」が社会保険行政の本分と説いた厚生省キャリアがいたものだ。
★この現実を多くの人が知る機会をもったのが、1998年から2004年の厚生年金基金の解散、代行返上の記録突合作業であった。明らかに行政サイドのミス記録であっても、社保庁データに合わすことが暗黙のうちに「強制」された。企業サイドに証拠がない限り「訂正」はしない、あっても無理矢理、社保庁データを黙認といったことが多々あったのだ。なぜ、その時、強く異議もうしたてをしなかったかと、旧厚生年金基金の旧職員は今なお心を痛めている。
この根底にあるのは、国家の「証拠主義」だとわかったようなことを言った法学者かぶれがいた。しかし、実際に間違った高い標準報酬月額は、前後のデータから推して、職権で低く修正した社保庁職員がいたものだ。逆にあきらかに間違った低い標準報酬月額は、証拠がない限り「訂正」しないと言い張った社保庁職員氏もいたのだ。
なぜ、こうしたことが、加入者本人の承諾もなく当然のように行われたのか?
★年金記録問題と年金財政・制度問題は別の問題なのだろうか?
本当の年金専門家は年金財政・制度の基盤にあるのは「年金記録」の保全であり、「年金記録」とは「受給権」保護の証であり、「受給権」とは国民の財産権であり、年金制度の根幹にあると認識している。制度設計、財政検証、資産管理、記録管理、は年金制度を貫く一体の仕事である。
★年金制度の継続性を担保するのは、年金記録の保全、更新にあること。年金財政も制度設計もすべて確かな年金記録があって検証され、財政再計算ができることぐらい常識である。したがって、本当の専門家は記録問題と財政・制度はきちんと「一対」として考えている。「分離」して考えている専門家がいるとしたら、その人こそとんでもない年金詐欺師である。
(この稿来週もつづく)
年金お助けBOOK 2008-2009年版
適格年金のやめ方