★リストラに遭遇して家族がギクシャクしたという話をよく聞く。その原因は、2つある。
ひとつは、お父さんが「後のことは、俺がなんとでもする」と気張ったことによる。
2つ目は、妻が夫の窮状を理解してくれないことによる。
しかし、夫のリストラを家族の危機ととらえ、一致団結、家族一丸となって、さらに一層、家族愛を強めることもあるようだ。
まず、お父さんは、男としての見栄もあるが、ここは余り粋がらないことが肝心のようだ。
大手電機メーカに勤めていた斉藤さん(仮名)は、部長職でもあった。2001年に多くの部下の首を切り、「男のケジメ」と、自らも会社を去ることにしたという。当時、たしか50歳前半だった。
「初夏の5月、女房と旅に出た。北海道の留萌に。若い頃、仕事で訪れ、その美しい夕陽をみて感動し、会社を退職したら、ふたたたびここで夕陽をみようと決めていた」「その日、列車と車を乗り継いで、留萌の海岸、黄金崎に到着したのは、午後4時頃。運のいいことに、夕陽が燃え盛るように傾きはじめていた」
「今だと思った。『俺は、近いうち会社を辞める。この会社でやりたいことはまだあるが、やるべきことはすべてやったようにも思う。疲れたというのも本音かも知れない。部下や仲間も職場を去った。辞めて、次何をやるかも決めていない。今は何も考えられない。無責任かもしれないが、生活は退職金で2年ぐらいはなんとかなるが、この先は?といわれれば、今は、自信はないが・・・』と妻に告げた」
ここからが、ロマンチストでもある斉藤さんの真骨頂である。
-奥さんに、何を伝えたかったのですか?
ともかく、妻に感謝の言葉を伝えたかったという。
「なんだかんだと言っても、ここまで好きなようにやらせてくれたのはお前のお陰だ。本当に感謝している。今日は、こういうことを言える機会があったら、この留萌の海岸で、夕陽をみながら、このことを言いたくて、君にもきてもらった」「本当にありがとう」
筆者は、話を聞きながら、斉藤さんの潔さもさることながら、なんと、心、柔らかな人かと感動を憶えたことを今でも思い出す。
―それで、奥さんはどうだったですか?
「黙って泣いていたよ」。お嬢さん育ちの奥さんは、結婚してからも会社とか、組織とか、そういう社会への理解に疎いタイプだったそうだ。
―会社を辞めてからどうしたのですか?
斉藤さん、毎日、空を見て、ボーとしていたという。「ところが、不思議なことに、俺がボーとしていると、女房もそばに来て、同じようにボーとしている。まさに、前途ボーボー夫婦だった」
「そのうち、女房はポツリと言うのだよ。『これまでは、お父さんが働いてきた分、私も働くわ。Y駅のレストランで仕事をみつけたのよ。働くのは学生の時のアルバイト以来、30年ぶりよ。昨日の晩、息子二人には、お父さんはしばらくボーとしているけど、黙ってみていてよ、といっておいたわ』と言ってくれた」
―奥さんが働きはじめてからどうしのですか?
「朝、俺がごはんをつくって、妻をおくりだす日が、半年ぐらい続いたよ。そんある日、妻が風邪で倒れ、妻のアルバイト先に電話したら、『今日は学生のアルバイトも休みなので、困った、何とかならないですか』と店主に泣かれて、『もし、私でよければ、ピンチヒッターということで、私が行きましょうか』と・・・。『助かります。店の掃除、皿洗い、ジャガイモ・玉ねぎの皮むきですが、いいですか』と聞かれたので、オフ・コースと答え、早速に行きました」「それから、3ヵ月ぐらいは、夫婦同伴のアルバイト、時には妻のピンチヒッターが続きました」
―何か、変化はありましたか?
「若い修行中の調理人、アルバイト学生さん、彼らと接しているうちに、自分のなかの『働き蜂』が動きだしましたよ。人と接する、しかも、若い人から『オヤジさん、彼女ができたのだけど、口説けない』なんて相談されているうちに、なにかが動いた。『俺は、こいつらの何かの役に立ちたい』と思い、ふと、今は独立して小さなコンサルティング会社をやっている昔の部下に電話してみたよ」「そして、今は、その会社の総務経理から営業までやっている。給与は昔の3分の1にも届かないけど、お金ではない、やりがいを感じている」
斉藤さん、妻が働きだした動機は、「どうも、俺に『お父さん、なんでもいいではないですか、生きて、働ければ』と諭すことにあったのではないかと、今は思い至っている」
―二人の息子さんは、父親のリストラ、何か言っていましたか?
「男同志、どうのこうのと議論することもないが、長男は結婚して家を出て行ったよ。今まで、遊び呆けていた次男は学校を中退して就職、少ない給与だけど、毎月、『下宿代』と言って、数万円のお金を妻に渡しているみたいだよ」
年収の2年分の退職金、約300日程度の雇用保険の失業手当、斉藤さんは、まだ、恵まれたリストラ退職だったとも言えよう。しかし、なによりも、自分を偽らず、ビジネス人生の敗北を認め、我が身の無力を引き受け、妻と家族にありのままの自分をさらした「素直」さは、なかなか真似のできることではない。
斉藤さんの話、「家族の力」は、人を再生させる最後の力であることを教えてくれた。
※<お断り>本文は、ご本人のこともあり、名前は仮名、背景や経緯を脚色していますが、内容の本筋は、実話にもとづいています。本ブログを読んで「これは、俺のことではないか!」と、お怒りになる旧友、知人がいれば、ここは、ご寛恕のうえお許しください。電話かメールいただければ、一献差し上げたく存じます(筆者JM)。
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